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残る議事録、残らない議事録。 ニュース記事に関連したブログ

2012/01/25 12:55

 

1月22日(日)の夜7時のNHKニュースが「政府の原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかった件」を報じてから(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120122/k10015450241000.html)、メディアやブログや掲示板が喧しい。周回遅れではあるが、私もちょっと「原子力 会合 議事録」でググってみたら、こんな記事が目にとまった。
 

 
(産経新聞 2011年3月22日)
 
 東日本大震災をめぐり、枝野幸男官房長官が18日の政府と与野党の震災対策合同会議で、計画停電への対応を自画自賛するなど、政府・民主党の認識が実態とは大きくかけ離れていることが21日、産経新聞が入手した合同会議や実務者会合の議事録で明らかになった。一方、民主党の岡田克也幹事長からは緊張感の欠如ともとれる発言も出ている。
 
 枝野氏は地震発生後、緊急災害対策、原発事故、計画停電などに関する政府の対策本部の調整役となったものの、対応の遅れが批判された。
 
 会議出席者が作成した議事録によると、18日の合同会議で、社民党の阿部知子政審会長は計画停電について「『無計画停電だ』。街がガラガラで小さな商売が成り立たない」と見直しを求めた。
 
 これに対して、枝野氏は「当初の計画通りだったら大混乱だったが、東京電力、経済産業省に任せず政治主導でやってよくなった」と反論した。
 
 また、岡田氏は18日の合同会議で、19日から毎日開くことになった実務者会合について会合ごとにテーマを絞ることを提案した。「最初の20分は原発、後の40分は物資輸送ということで…」などと、会議の中身よりも1時間で終えることにこだわった。
 
 実際、岡田氏は19日の実務者会合で原発の問題で議論が行われている最中、「時間もないので物資輸送の件に移りましょう」と発言。さらに開始からちょうど1時間後に終了宣言し、会合を打ち切った。
 

 
 
ふーん。政党間の会合の議事録は、残されているのね。
 
「国難には一致団結して立ち向かう必要がある」とはいえ、政党間で認識や利害が一致しないことは多々あるだろうから、「言った・言わない」の泥仕合を避けるためにも議事録は必須なのだろう。
 
逆に、政府の原子力災害対策本部の会議出席者は、全員が全員、議事録がないことで利益を得る(あるいは損失、被害を免れる)立場だった のだろうな、と推測できる。
 
‥‥ 公共事業の入札談合の会合と一緒やな。
 
 会議の内容を闇に葬ることで「皆が順番に利益を得る」という入札談合とは異なり、たぶん、原発事故の善後策を協議するという会議の性格から鑑みて、内容を闇に葬ることで「皆が等しく損失を免れる(批判されずにすむ、職責を問われずにすむ)」というのが目的だったのだろうな、と考える。この点、産経は1月24日朝刊の「主張」(他紙の「社説」に相当)でさらに踏み込んで、こう書いている。
 

 
原発事故議事録 不作成は国民への裏切り
 
(前略)
 
 対策本部における判断の妥当性は、後日の検証の対象とされるべきだが、その記録がないのでは、十分に国民への裏切りだ。
 うがった見方をすれば、それを嫌った圧力が何らかの形で働いたのではないか。国の事故調査・検証委員会などは、この問題に徹底的に切り込むべきだ。
 
(後略)
 
 

 
 産経の論説委員はたぶん、「菅直人をはじめとする政府・民主党の判断ミス、政治的責任を隠蔽するために議事録が作成されなかった」と邪推しているのだと思う。仮にそうであったとすれば、会合に出席しながら議事録の作成を怠った官僚は、「政治家に恩を売る」あるいは「政治家の弱みを握る」ことで「立場を強める」という利益を得られる。
 
 たしかに、このところの野田内閣に対する財務省をはじめとする霞ヶ関のコントロールぶりは素晴らしい。野田首相だけではない。岡田副総理も、安住財相も、これほど財務省に忠実で懸命な閣僚が揃う内閣は、なかなか得がたいだろうな、と傍目には感じられる。阿比留記者も書いておられたが、増税を言い出すだけでなく、事業仕分けや天下りの廃止・独立行政法人などの官庁の外郭団体の整理・統廃合といった役人に不都合な政策はトーンダウンし縮退している。そういった野田内閣の姿勢は、もしかしたらコレが理由なのかな、と邪推は膨らむばかりであるが‥‥
 
 閑話休題。
 
 「社会の公器」を自認する全国紙が、ある特定の立場の人間を貶める内容の推論を述べるのであれば、一定レベルの信頼性のある物証・確証類を提示すべきだと思うが、産経新聞社は現在のところそれを発掘できていないようだ。22日の夜にNHKが報じてから、24日の早朝に産経の社説が公表されるまで、まる一日空いている。産経新聞社はたぶん、前掲の「主張」に盛り込まれた邪推を裏付ける物証・確証を捜し求めたのではないか。しかし、それは見つからなかった。そのために「主張」は陰謀論に堕ちてしまい、かつ民主党や菅直人を名指しすることができず、「それを嫌った圧力が何らかの形で働いたのではないか。」と歯切れの悪い表現になっている。
 
 だったら、邪推はすべて封印して、物証・確証類が出てくるまで温存しておけばよかったのに、と思う。そして、そういった邪推は、我々のような市井の野次馬か、あるいはゲンダイ・フジのようなイエローペーパーに任せて欲しいぞ(爆)
 

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 論考

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コメント(5)

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2012/01/25 19:01

Commented by izaiza1219 さん


>邪推はすべて封印して、物証・確証類が出てくるまで温存しておけばよかったのに、と思う。
>そういった邪推は、我々のような市井の野次馬か、あるいはゲンダイ・フジのようなイエローペーパーに任せて欲しいぞ(爆)

確かに、そうですね。
社説に「うがった見方をすれば、」云々はいけない。
うがった見方で【主張】できるのであれば、何でも書けてしまいますね。
うがった見方をすれば、これまでもそうだったんじゃないか、とか。(笑)




 
 

2012/01/25 21:00

Commented by 遠州報國隊 さん

To izaiza1219さん

こんばんは

>社説に「うがった見方をすれば、」云々はいけない。
>うがった見方で【主張】できるのであれば、何でも書けてしまいますね。
>うがった見方をすれば、これまでもそうだったんじゃないか、とか。(笑)

実際、赤いアカヒは同じことでも、もっと巧妙です。この場合のように、確証がないのに陰謀論を刷り込みたい場合はこんな書き方をするのが、彼等の常套手段ですから。

“対策本部における判断の妥当性は、後日の検証の対象とされるべきだが、その記録がないのでは、十分に国民への裏切りだ。
 単なる官僚の怠慢なのか、なんらかの圧力が働いたのか、議事録が残されていないことの理由も含め、国の事故調査・検証委員会などは、この問題に徹底的に切り込むべきだ。”

産経の論説に不足しているのは、朝日のようにサブリミナル効果を狙った文章、ですね。書く能力はあるだろうに、潔しとしないのか、論調が直線的なんですよね。

変化球や曲球も交えたほうがいいんじゃないか、とよく思います。

 
 

2012/01/25 21:11

Commented by 遠州報國隊 さん

というわけで、最近、産経の「主張」を校閲して校正したい、させろ、もっとマシな文にしてやるぞ、と言いたくなることが結構あります

おこがましい言い方ですが、最近、産経だけでなくどの新聞でも、記事や社説の文章が下手というか、重厚さや雅量が感じられなくなってきました。言い回しが紋切型になっていたり、表現がありきたりだったり。

つらつらと考えると、漢文・古文を含む、古典の素養がなくなりつつあるんだろうな、と思います。あるいは、読者のレベルに合わせているのか。

いずれにせよ、特に漢文調の美文を見なくなりました。

 
 

2012/01/25 23:57

Commented by izaiza1219 さん

>…記事や社説の文章が下手というか、重厚さや雅量が感じられなくなってきました。言い回しが紋切型…

今晩は。同感です。

記事が難しすぎる。義務教育を終えた者なら誰でもラクに読める文章を書くことで、日本の民主化を図るように――。
例の占領当局の指示です。
彼らは進駐してくるとすぐ、新聞記事を材料に老若男女の日本語能力調査を全国的にやるのですが、能力の高さに一驚したらしい。
調査を手伝った金田一春彦氏らの回想に、そんなことが書かれています。

ただ、新聞業界は「なるほどそうだ」と思ったのか、朝日や毎日を先頭に、誰もが読める記事づくりに邁進します。(「邁進する」は、新聞用語だと、「―に努める」「―をめざす」…ですね)

それと、GHQに方向づけられた国語教育の問題があるでしょうね。

しかし、新聞は <事象や意味をやさしい言葉で伝えること>に重きを置きすぎた結果、微妙な違いを正確に伝えることに意を払わなくなってしまった。周辺に長年棲息してきて、そう感じました。

以下は当てずっぽうの印象ですが、使用語数で露伴18万、鷗外15万、漱石10万、三島9万、恆存6万とすると、新聞は今せいぜい2万でしょうか。
蘇峰や秋水、四迷らが書いていた時分は、10万前後を各自 好き勝手に操っていた感じで、逆に言うと、読者は小学校しか出ていなくても、門前の小僧・神前のお嬢で、一葉や紅葉を読んで涙を流せたんですね。

どんな言葉も言い換えられるというのは、言語学的にも間違いなんじゃないでしょうか。置き換えが利くなら、そんな言葉は消えているでしょう。
大仰ですが、新聞が使用語数を限ってきたことは、文化の扼殺に近い。
それに、使用語数を絞れば絞るほど、考えの枠が狭まると云うか、思考自体が幼稚化していく。

とは言え、最大の問題は、元になる考えが在るかどうかでしょうね。
語弊がありそうですが、2000語使うかどうかの staroさんの闊達自在で斬新な、いや、新聞用語だと、伸びやかで生きがよく、切れ味鋭い文章に接すると、問題は語数でないことがよく分かります。

それにしても、社説の文章はつまらないですね。
内容は措くにせよ、文章に感心することは老生も先ずないです。
(自分のことは、もちろん棚に上げてですが...)

 
 

2012/01/26 15:44

Commented by 遠州報國隊 さん

To izaiza1219さん

>しかし、新聞は <事象や意味をやさしい言葉で伝えること>に重きを置きすぎた結果、微妙な違いを正確に伝えることに意を払わなくなってしまった。周辺に長年棲息してきて、そう感じました。

世間一般でも「教養」「古典の素養」といったものに敬意を払わなくなってきたことと、裏表の関係ですね。


>以下は当てずっぽうの印象ですが、使用語数で露伴18万、鷗外15万、漱石10万、三島9万、恆存6万とすると、新聞は今せいぜい2万でしょうか。

なるほど、たしかに語彙も減ってますね。私は語彙数よりも、レトリックや修辞学といったものに長けた記者が減っていることに着目しちゃうのですが、語彙力はその重要な要素ですよね。


>大仰ですが、新聞が使用語数を限ってきたことは、文化の扼殺に近い。

ある人は「教育の普及は軽佻浮薄の普及である」といい、福田恆存氏は「國語の破壊者は学校と新聞」と糾弾しました。新聞が先導したのか、あるいは世間の後追いなのか。


>とは言え、最大の問題は、元になる考えが在るかどうかでしょうね。

その通りだと思います。新聞記者も「いい子ちゃん」が増えてますから。桐生悠々や石橋湛山のような記者が、今後、出てくるかどうか。あるいは、桐生悠々を保護した長野の小坂一族のような、古きよき時代の資本家・文藝のパトロンが残るかどうか‥‥

 
 
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